「そろそろ柿が食べたいなあ。」
近所のスーパーで衝撃を受けた話。
売り場を見ると、あるのはピカピカどっしりした【種なし】の柿だけ。
その1種がずらーっと果物売り場の旬を独占するように並んでいて。
確かに種なしは食べやすい。
だけどこれでいいのかな?
種があるのが当たり前で育った自分には、とてもとても「不自然」に思える種のない果実。
だけど、この「不自然」が子供たちにはきっと当たり前になる。
現に、このスーパーで買える柿は種なしだけなんだから。
「え、柿って種があるの?」
果物の種全般を知らずに大きくなるかもしれない。
種があって、自然や育てる人がいて。
そんな想いを馳せる機会も1つ減る。
進化はいいけど
種無し果物を作る人は悪くない。
食べやすいようにと、一生懸命工夫して品種改良した人がいる。
ホルモン剤の力かもしれない。
(↑柿は葡萄のようにホルモン剤は使わず、品種改良の結果と教えていただいた。)
そんな選択肢もあっていい。
だけど、それが全ての世の中に変わっていくのは、怖さを感じる。
種を知る私たちが
種を知る私たちが、種の意味を、本来の自然の姿を積極的に子供たちに教えていかなければ、いけない時代に来た。
「ほら、こっちは種があるよ、みてごらん。植えたら木になるかな?」
「種があるのが普通なの。ここに次の命が詰まってるの。」
進化・進歩は否定しない。
だけど、便利を得ると必ず失われるものがあるということ。
1つの便利を手にする度、失われるものにも想いを馳せる習慣を持っていたいと思う。
そして、種を避けて食べるちょっと「不便」な本来の果物の楽しさ・楽しさを大切に選んでいきたいな。
知って選べば、どれも正解!
今日も楽しい食選びを!